野草報告レジメ19990131

19990131 / 中国文芸研究会一月例会報告 / 和田知久
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格非の長篇小説を読む
−『敵人(90)』『辺縁(92)』『欲望的旗幟(95)』より
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はじめに
 ◆格非への考察のひとつの節目、それを踏まえた「当代文学における「先鋒」の位置づけ」への取り組み
 ◆「新しい言説の創出」という観点から検討する「先鋒性」
^叙述の独自性
_価値意識の独自性
 ◆「90年代長篇の隆盛と「先鋒」作家たち」をうけて

氈@90年代長篇隆盛の背景と傾向
 ◆背景
・長篇小説の発行篇数
80〜90年代初毎年 300部超
1992年 373部
1993年   420部
1994年   600部超
1995年   700部超
1996年 800部超

・茅盾文学賞受賞篇数
第一回(81) 6部 (姚雪垠『李自成』、李国文『冬天里的春天』ほか)
第二回(85) 3部 (張潔『沈重的翅膀』、劉心武『鐘鼓楼』ほか)
第三回(91) 5部 (路遥『平凡的世界』、凌力『少年天子』ほか)

・若手・実力派作家群の長篇創作へ方向転換
・出版界の市場化と数作の大成功
陝西作家群(賈平凹、陳忠実、老村、高建群ら)の一連の作品と成功
長篇年:長篇単行本の刊行(93)
(余華『在細雨中呼喚』 蘇童『我的帝王生涯』 孫甘露『呼吸』
 北村『施洗的河』 王安憶『紀実与虚構』 李鋭『旧址』
 陳忠実『白鹿原』 賈平凹『廃都』 洪峰『和平時代』
 顧城『英児』など)

叢書の好調
(「布老虎」「跨世紀文叢」など)
メディアミックス(映画、テレビドラマ化/ノベライズ)
・その他
江澤民「抓好“三大件”」:長篇小説、影視劇本、児童文学(95)
読者の需要

 ◆傾向
・同時代性
改革開放過程の現在を描く
時代精神追求の傾向が強い?
・歴史題材
階級闘争を描く政治小説から文学的に鑑賞に堪えるものへ

 格非の著作において長篇とは
 ◆作品群全体の傾向
・物語構築への執着
・同時代人としての世界認識の呈示
 ◆小説創作の変遷
・<叙我体>と<叙史体>
<叙我体>:物語展開の舞台を現在に置き、作家格非という人間自身、或いは登場人物自身の自我や世界に対するあり方を追求したもの。『褐色鳥群』『没有人看見草生長』『青黄』『蚌殻』『夜郎之行』『sh3瓜的詩篇』『初恋』など
<叙史体>:物語展開の舞台を現在も含めて遡る過去の歴史的時間に設定し、自らの意思を持ちながらも大きな流れである歴史や時代に翻弄される人間の姿を描いたもの『迷舟』『大年』『敵人』『風琴』『辺縁』『相遇』『錦瑟』『湮滅』『雨季的感覚』など

・時期による偏差
1986年〜1989年:主に<叙我体>
1990年〜1994年:<叙史体>のみ
1995年以降:新<叙我体>の出現

・圧倒的多数の短篇中篇とわずか三篇の長篇

。 長篇三作の変遷
 ◆『敵人』(『収穫』1990年第2期)について1
・同時期の『迷舟』『大年』『褐色鳥群』などを彷彿
一族滅亡への物語→マルケス『百年の孤独』との対照
プロットの展開=「謎解き」(「敵」の正体を探る)の過程
 ・趙家の邸宅をはじめ村を焼き尽くした火事は放火か?誰の仕業か?
 ・趙伯衡が“黄ばんだ画仙紙”に書いていたのは何か?敵の名前か?
 ・柳柳、趙虎、猴子を殺したのは誰か?
⇒「作者の唯一の興味はただ如何に巧妙に事件が発生した時間とテクストの叙述の時間との間にねじれを起こすかということだけにあるかのようで、そのことにより絶えず物語の展開に対する不安を作り出し、読者に始終“誰なんだ”“何故なんだ”“それからどうなるのだ”という一連の疑問を追求させ続け読み進ませようとするのだ」(趙小鳴ら)


運命と人間存在に関する世界認識のメタファー
・「神の意志、占い師、盲人の予言、尼僧」:運命を知り告げる特殊な存在として登場する。その他の登場人物は運命に能動的に関与し得ず、常に他者の意志に左右されることとなる。
・「作中の人物は結末にむけてほとんど間違いなく“死”へと歩んでゆく。余華、蘇童、格非などは次々と作中人物を死に追いやるだけでなく、ともに死の場面をことさら大げさに描くことに熱心である…中略…死によってのみ彼らははっきりと存在というものを把握することができるのだ」(謝有順)
・「見極めがたい神秘さと確信することのできない不安感は、我々にこの世界には真実とまぼろしとの間には明確な境界線が存在するのかどうかを解らなくさせるだけでなく、作者によって選択された小説世界における真実の質を見極める術さえ無くさせてしまうのだ」(趙小鳴ら)
・「世界は“敵意に満ちたもの”と判断され、“私”と相容れないものとなり、世界は私の敵となる。その反対に、私も世界と相容れない立場に身を置くこととなり、私は世界の敵となる」(趙小鳴ら)
「無標点形式」
→趙少忠の回想の際のとめどない意識の流れと現実に対する不確実さを表す

 ◆『辺縁』(『収穫』1992年第6期)について2
・登場人物名、地名などによる分章形式
『風琴』『湮滅』、『没有人看見草生長』『雨期的感覚』を彷彿
・“聚合”によるプロット展開ながら(長篇のせいか)難解さは伴わず
“聚合”:格非作品の幾つかに見られるプロット展開形式の類型のひとつ。物語の叙述において、一つの出来事、人物に対してのイメージを重複して提示したり、その逆に脈絡なく分散させて提示することによって、読みとられるべき対象の意味を多重化させ、その上でその多重化されたイメージがプロットの展開に随い、焦点となるべき一つのテーマへと集約(聚合)されてゆくプロセスのことをいう。登場人物名による分章という形態が特徴的に採用される。
・「回憶」形式
「回憶」という行為自体への考察はなし
晩年の老人の回憶
 →記憶の断片を脈絡なく想起、出来事やフレーズの連想
 →断片、時系列に沿わない脈絡のない連想、激しい感情なし
 →人生に対する冷えた落ち着き払った態度
 →初期の〈自分物〉の短篇中篇とは異なる

・“断章形式により物を書く”“記憶、回憶”“実際の生活”の関連
→「物を書くことは常に記憶の中の出来事を説明するようなもの」
→「(記憶の中の出来事の)あるものは見過ごされ忘れ去られ、あるものはもともとありもしなかった」
→「物を書くことと実際の生活は場当たり的なものであり、ある意味でロジカルではない」
→「私の記憶は月のようにこの夜空に高く懸かっており、時間の周縁のある部分に留まっている」⇒物語の結末において、人間は境遇や運命の前では為す術がなく、無力であることが暗示される、積極的な関与への絶望
→「人間が追い求めたり、争ったり、奮闘したりしてみても何の力にもならない。ただ生命をかけた行いのあとがあるのみで、生命を昇華させるようなものは不要である」(宋遂良)
→「『辺縁』は間違いなく優れた芸術作品であり、先鋒的色彩を強く帯びているかのようである。自己愛的な冷たさ、切り裂かれ、混乱し、組み換えられた時空、ある意識が別の意識に繋がるように流れ、ひとつひとつの美しくいささか青ざめたような比喩表現は果実のようにテクストの枝えだをその重さでたわませる」(同上)


 ◆『欲望的旗幟』(『収穫』1995年第5期)について3
・大学知識人への興味
価値観の混乱した現在中国社会に対する知識人の役割と期待への考察
→「重振人文精神」のパロディーとして
→D・ロッジ『Small world』、筒井康隆『文学部唯野教授』を彷彿
・「欲望」「愛」「夢」を描くことへの興味とその繋がり
→格非自身が作家、知識人として取り組みたいテーマ
→人間が常に追い求め、理想とするもの
「欲望」:作品のタイトルの解題として全篇に描かれる、「愛」「夢」を追い求める原動力として、「快楽とは無限に先送りされた欲望のことである」
「愛」:「性欲の変形」、「絶望に抗う砦」、理想の典型として
「夢」:張末の見る「夢」、両親を含めた周囲の人間とのコミュニケーション不全に悩む不幸な少女時代から自分を連れ出してくれる男の「愛」を常に望む、理想化されたもの

→「同時代的な精神生活の混乱を極力表現しようと努め過ぎたあまり、すこし概念化され過ぎた嫌いがある」(陳暁明)
・新<叙我体>作品群の代表作として
→ほか『初恋』『涼州詞』など
→叙述の独自性(実験性、プロット構築への執着)の淡化
→具体的で現実的な(今を生きる)自分自身による「今」への取り組み
→「昨今の文学にとって自分自身の世界を確保するための鍵は“現在”に向き合えるか、にある」「形式という隠れ蓑を失い“先鋒派”は思想・認識の面で平々凡々であることがはっきりした、というだけでなく、同時に重要な問題は、彼らが現実を回避してものを書いているということが(文学者として)絶体絶命の状態であると言わざるを得ない、ということである」(陳暁明)


「 まとめ〜「欲望的旗幟」からみた格非の長編小説の変遷の意味とは
 ◆『敵』『辺』<叙史体>から『欲』新<叙我体>への転換
・題材的:「過去」(『敵』)から「過去→現在」(『辺』)を経て「現在」(『欲』)
・表象的:叙述の独自性(実験性、プロット構築への執着)の淡化、「先鋒性」の喪失?

 ◆<叙我体>から新<叙我体>への転換
以前の<叙我体>:高度な抽象化、希薄な現実感(場所、人物の不特定)
→それによって現代に生きる者全体への普遍を謀り、「世界認識」を呈示
新<叙我体>:直接的な周辺、普遍的に現代世界を図示することの放棄
→より個人でありながら共感できるものとしての「世界認識」
→初期の作品のような「気負い」「硬さ」が見られない(作家としての成熟か)

 ◆中短篇の創作の成果のフィードバックとしての長篇小説
全体的な作品の変遷の流れにおいて長篇もとらえることが可能である

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●主要参考文献
《无邊的挑戰 −中国先鋒文学的後現代性》陳曉明 時代文藝出版社 1993.5.
「九十年代“長篇熱”透視」何鎮邦 光明日報 1998.2.26.
「先鋒派之後:九十年代的文学流向及其危機」陳曉明 当代作家評論 1997.3
「超越與澄明 −格非長篇小説《邊縁》解讀」呉義勤 小説評論 1996.6
「逼視與守望 −从張 、格非、余華的三部長篇近作看先鋒小説的審美動向」洪治綱 当代作家評論 1996.2
「世紀末中国文壇的主角 −關于90年代青年作家的一分備忘録」 元宝 文学報 1995.11.23.
「適應時代要求 繁榮文学創作 −在全国文学工作会議上的講話」 泰豐 文藝報 1995.9.25.
「終止游戲與繼續生存 −先鋒長篇小説論」謝有順 文学評論 1994.3
「評幾部“新寫實”長篇小説」宋遂良 文学評論 1993.5
「“敵人”:一个被消解的概念」趙小鳴 王斌 当代作家評論 1991.4

格非作品一覧
發表年:区別/文章名 ,刊登志/期号 ,叙我/叙史
1986年:短《追憶烏攸先生》 ,《中国》 ,我
1987年:短《陷穽》  ,《關東文学》 ,我
 中《迷舟》  ,《收獲》 ,史
1988年:中《褐色的鳥群》  ,《鍾山》 ,我
 中《没有人看見草生長》 ,《關東文学》 ,我
 劇《死亡與回憶》  ,《影劇新作》 ,史
 中《大年》 ,《上海文学》 ,史
 短《青黄》 ,《收獲》 ,我
1989年:?《黎明之軌》 ,《時代文学》 ,史
 短《風琴》 ,《人民文学》 ,史
 短《蚌殼》 ,《北京文学》 ,我
 短《背景》 ,《收獲》 ,我
 短《夜郎之行》 ,《鍾山》 ,我
1990年:長《敵人》 ,《收獲》 ,史
 轉《背景》 ,《小説月報》 ,我
 短《Hu1哨》 ,《時代文学》 ,史
1991年:
1992年:中《Sha3瓜的詩篇》 ,《鍾山》 ,我
 長《邊縁》 ,《收獲》 ,史
1993年:中《相遇》 ,《今天》 ,我
 短《錦瑟》 ,《花城》 ,史
 短《湮滅》 ,《收獲》 ,史
 短《雨季的感覺》 ,《鍾山》 ,史
 微《公案》 ,《鍾山》 ,史
 轉《雨季的感覺》 ,《小説月報》 ,史
1994年:?《武則天》 ,《江南》 ,史
1995年:短《初恋》 ,《花城》 ,我
 短《凉州詞》 ,《收獲》 ,我
 長《欲望的旗幟》 ,《收獲》 ,我
1996年:中《Xiang1嵌》 ,《花城》 ,我
 中《時間的煉金術》 ,《鍾山》 ,我
 短《喜悦无限》 ,《人民文学》 ,史
(短:短篇,中:中篇,長:長篇,劇:劇本,?:未入手小説,轉:轉載)

1『敵人』(『収穫』1990年第2期)概要
 数十年前の清明節に発生した、趙家をはじめ村を焼き尽くした原因不明の大火は世代を経て村人に語り継がれることとなった。また大火をきっかけに趙家には不幸が続き、代々の当主は一族衰亡という姿なき恐怖に脅える一方、その災厄を一族にもたらす「敵」の正体を暴くべく疑心を抱き続け、大火から数えて三代目の当主趙少功の時にその滅亡を迎えることとなる。
2『辺縁』(『収穫』1992年第6期)概要
 老境を迎えた「私」による「麦村」で過ごした少年時代から、北伐戦争、抗日戦争期、人民共和国の建国を経て現在1990年に至るまでの自らの生涯を回憶した記憶の断片によって構成されている。思い起こされる記憶のほとんどは母の密通の目撃、戦争における強姦、殺戮をふくめたあらゆる非人間的な出来事であり、主人公はそれらに対してある種の諦念をもった殉教者のごとく向き合っている。
3『欲望的旗幟』(『収穫』1995年第5期)概要
 1990年代初頭の上海、哲学分野の全国的学術会議が行われるある大学が舞台。開幕直前の会議の責任者の自殺(?)事件から表面化した研究者たちの不倫、結婚、離婚などの恋愛面における人間関係や学部統合(消滅)や人事を背景にしたせめぎ合いなど大学内の出来事を通して、大学知識人の生きる現在を描く。


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